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黄金竜の、とある日の朝

 

 まどろみながら彼女は目を覚ました。

 天蓋つきの寝台。その置かれている部屋は、寝台そのもののサイズからすれば不必要なほどに大きい。ほとんど片隅にちょこんと置かれているのにも等しい広大な空間は、しかし決して不要なものではなかった。

 本来の姿をとった時のことを考えれば、むしろささやかに過ぎる――この世界における竜とはそれほど巨大で、また強大でもある。

 ストロフライ・ヴァージニア・ウィルダーテステ。

 まだ若い黄金竜である彼女が、本来の姿とはかけはなれた姿(この世界をつくった精霊達の姿をかたどった、いわゆる“精霊形”)をとっているのは、なにより便利さ故のことだった。

 竜が本来の姿で生きるにはこの世界はあまりに狭く、脆い。

 そう意図せずとも、物のはずみで容易くこの世界を崩壊させてしまう。それは彼女に限ったことではなく、竜という生き物は皆がそうした存在だった。有象無象の他の生物種とは、文字通りの意味で次元が異なる。

 そして彼女は、その竜のなかでもさらに特別だった。

 比喩でもなにかの暗喩でもなく、それは単なる事実だった。この世界に数多ある生物の頂点。その竜族の中の、さらに頂点。

 そのことについて彼女は特に関心を持たなかった。

 彼女は自分が特別であることを当然のように理解していて、だからこそ、そのことになんの自負も抱いてはいなかった。自分が唯一無二であることは明確なのだから、わざわざそれを他者に誇る必要も、どこかに喧伝する必要もない。彼女は生まれながらに他の誰より圧倒的で、自由で、最強だった。

 その彼女があえて精霊形などという姿をとっているのは、不自由の中にこそあるさらなる自由さを求めて――というわけでもない。彼女に限って力の暴走などありえないし、仮にそんな事態が起きてしまったとしても、彼女が望みさえすれば、暴走する以前に全てを戻してしまえばいい。だからそれは、ほとんど彼女の酔狂のようなものだった。

 外見的には、十代半ば頃の姿で自由を謳歌する彼女のそうした行いを、よく思わない相手もいる。

 それはたとえば彼女の父親で、自身も強大な黒竜である父親は、彼女がこの小さな世界で暮らすことを宣言した時にも猛烈に反対したものだった。ほとんどの竜は、狭く、脆い世界から自分達で創りだしたまったく別の新天地へと移り住み、そこで伸び伸びと生を過ごしている。この世界の哀れな他の生き物達のためにも、そうしてやるべきだ――父親の主張はほぼ正論だったが、彼女は聞き入れなかった。

 力ずくでも止めようとする父親の抵抗を、彼女も力ずくで(具体的には地平の彼方まで)跳ね飛ばして、彼女は狭く、脆すぎるこの世界のとある山頂に居を構えて、そこで暮らしている。

 そこでの生活を彼女は気に入っていた。

 小ぢんまりとしているが、涼やかに晴れた景観。山の麓にある湿気た洞窟には彼女が家来にした人間の魔法使いが住んでいて、時々その様子を見にいってやるのも楽しみだった。いくらかの不便さはあるが、彼女が望まない不便さは存在しない。

 いや、始めからそんなものは存在しないはずだった。この世界に在るもの、生きるもの全てが彼女に認められているからこそ、生存を許されている。瞬き一つ、欠伸一つで世界を破壊し尽くせる若い黄金竜を相手取ってしまえば、それさえただの思い上がりと罵ることは不可能だった。実際、彼女に疎まれて命の在った者はないし、これからもそれは変わらない。

 その彼女が目覚めた時、彼女の中にあったのは奇妙な感覚だった。

 腹の底に溜まるような、不思議な重苦しさ。寝起き頭で彼女は唸り、その正体を探ろうとしたが、思い当たる節はない。少ししてから、自分の機嫌が悪いらしいということを把握した。

 だが、その原因となるものが思いつかなかった。

 まだ明晰ではない頭で、ぼんやりと昨日の出来事を思い出す――彼女にとっては時間の操作など難しいものではなかったから、客観的な意味ではなく、主観的な意味で――気分よく大空を飛び回り、見慣れない竜が好き勝手をしているのを見たからぶっ飛ばし、父親の言いつけでやってきた竜をぶっ飛ばして。まあ、おおむねいつも通りだった。

 やはり、特に思い当たる節はない。しいて言えば実家からの連絡が不愉快ではあったが、若い衆を次元の果てにまでぶっ飛ばした時点で怒りは収まっていた。

 彼女は決して怒りっぽい方ではない。そもそも竜という種族にはおおらかなところがあるし、そうした意味では、むしろ彼女を怒らせることができるもののほうがはるかに貴重な価値を有しているといえた。もちろん、その数少ない事例は当然の結果を招くことになった。つまりは今では塵も残っていない。

 それではいったい、この不愉快な気分は一体なんなのか。

 寝起き頭のまま、絶対的な黄金竜は愛らしく頬を緩ませた。身体はなにかの不満を伝えて来ているが、わからない、という状態はそう不快でもない。ある意味で心地よくさえあった。彼女にそうした状態をもたらす体験などそう滅多にない。

 どうすべきだろう。他の生き物なら、こんな時にどういう行動をとるだろう。相談するのだろうか。悩みを聞いてもらい、あるいは自分自身さえ気づかなかった新しい何事かを指摘してもらうというのは、なかなかに得難い機会ではあった。

 ――マギちゃん、いるかな。

 彼女にとってもっとも近しい場所にいる相手のことを思い出し、その反応を想像する。彼女はにんまりと笑い、次の瞬間には寝台から飛び起きていた。

 そうしよう。今から相談にいくのだ。それはきっと面白そうだ。そうと決まれば彼女の気分は軽く、今なお体内に残るしこりのような感覚さえ不快ではなくなっていた。

 相談に行く時に必要な行いについて思いめぐらせ、やはりなにか手土産を持っていくべきだろうかと考える。飲み物。それとも食べ物? マギちゃん達、なにが食べられるのかなあと考えたところで、不意に巨大な音が響いて彼女はぱちくりと瞬きした。

 視線を落とす。

 その音は彼女自身から漏れていた。胸の下。その内側から。

 数秒ほどじっと動きを止めてから、彼女はため息をついた。

 今この状態で自分を襲っている不可解な状況がなんであるか、わかったからだった。相談の必要がなくなってしまった。


 彼女はお腹を空かせていた。